第19回 森のようちえん全国交流フォーラムin埼玉で黍原が実施する分科会「あり方の学び方を探究する〜馬と子どもの現場を手掛かりに」の開催にあたっての口上です。
分科会「あり方の学び方を探究する〜馬と子どもの現場を手掛かりに」の案内文
あり方って、どう学べばいいの?子どもに関わる上で〈やり方〉Doingの前に〈あり方〉Beingが大切です。毎月延200名の子どもが利用する三陸駒舎のホースセラピー実践を手掛かりに、参加者の方々とあり方の学び方を探究します。馬と深い関係を築く過程で、自分の子どもとの関わり方のクセがあらわなり、あり方が培われます。その時の私の状態は?身体感覚は?そもそも、あり方とは?これらの感覚を掴み、子どもとの関係を深めましょう。
口上「馬と身体と、〈あり方〉の養い方」
子どもの現場では、「〈やり方〉よりも〈あり方〉が大事」とよく言われます。
でも、どうやって〈あり方〉を養えば良いのか、いまいちピンと来ない方も多いと思います。
馬との関わりから〈あり方〉の整え方について考察を深めます。
そもそも〈あり方〉とは?
その前に、〈あり方〉って何なのか、少し整理したいと思います。
西村佳哲さんの著作「自分をいかして生きる」の「1:いる・いない」の章を参照します。ここでは、いい仕事について、仕事が生まれる全体像から掘り下げられているのですが、最初にこのような図が示されています。
最終的に、手渡される〈成果としての仕事〉は、氷山の一角で、その下に〈技術・知識〉、さらに下に〈考え方・価値観〉、一番奥底に〈あり方・存在〉があります。これは、仕事について話ですが、子どもと関わる上でも同じことが言えます。これを子どもとの関わりの場に置き換えると次のように言い換えられる。
〈技術・知識〉には、「まずは共感をしよう」とか、「否定的な言葉をなるべく使わない」といった具体的な関わり方や声掛けの仕方など、子どもと直接やりとりする〈やり方〉がある。
〈考え方・価値観〉には、子どもに「こうあってほしい」とか「こう育ってほしい」というような子どもに対する願いや「子どもってこういうものだよね」という子どもに対する見方や考え方である子ども観や良い保育・教育についての価値観である保育観・教育観などがあります。
逆から見れば、〈あり方・存在〉が土台となって、その一番上に〈成果としての仕事〉が立ち現れます。土台の〈あり方・存在〉がしっかりしていなければ、〈考え方・価値観〉も揺れ動きます(時に、周りに影響されて、一貫性にかけることも)。そうなると、〈技術・知識〉もその場しのぎのやり方でやらざるをを得なくなります。ちょっと想像して見て下さい、そんなやり方で関わられたら、その人を信頼するなんて全くできないですよね。
さらに「自分をいかして生きる」を読み進めると、こうあります。
〈考え方や価値観〉は「私はこう考える」と言葉でつたえることが出来るが、〈あり方や存在〉は言葉による表現があまり得意でない。
自分をいかして生きる(西村佳哲著、筑摩書房)P.22 ※太字&青マーカーは筆者による
あえて言葉を用いる時、それは「ドキドキする」とか「居ても立ってもいられない」「腹が立つ」「呑み込めない」といった具合に、身体の感覚をともなう言葉で自らをあらわす。
〈あり方〉は、「身体の感覚」
ここを読んだ時に、膝を打つ感じでした。(この表現もまた身体の感覚的ですね。)馬との関わりの時間を持つと、自分の〈あり方〉に気付いたり、〈あり方〉が変容したりします。それは、私から非言語のメッセージを馬に発して、その応答としての馬の身体から返されるメッセージを受け取ることを繰り返して、私と馬の間で起こるのですが、それは、なんとも言葉にし難く感覚的なものです。非言語のやり取りで、身体を通して、気付いたり変容したりします。このような経験を重ねてきたので、この〈あり方〉についての表現を読んだ時には、「やはりそうだ」と同意しかありませんでした。
なので、〈あり方〉を養うためには、身体からアプローチするのが、どうも良さそうです。この次からは、僕の馬との関わりの経験から〈あり方〉について気付いたこと、考えたことを共有します。
馬と関わることで〈あり方〉が自然と養われる
馬と関わるためには、いわゆる言語ではないノンバーバル・コミュニケーションによって行われます。
例えば、馬と一緒に歩く際に、「さあ、一緒に歩こう!」と言葉に出すだけでは、馬に対しては意味を成しません。視線や身体の動かし方など、身体的なメッセージを発する必要があります。しかも、馬の反応をみながら、即時に身体的なメッセージを変化させます。最初のうちは、考えて…そして身体を動かして、という段階を経ますが、実はそれでは手遅れ。馬の状態は既に変化しています。より深いコミュニケーションを図るためには、馬の反応に身体が自然と応答して、考える前に身体を動かす必要があります。
身体思想家の方条遼雨さん※1は、身体についての話の中でも同じようなことを言われています。「情報の更新性」と表現されていて、どんどん状況が変わっていくので、適切な状態は常に変わると話されていました。
この馬との関わりは、馬を子どもに置き換えても同じことが言えます。子どもから働き掛けがあったり、何か言動があったことに対して、考えて応えるのは、〈やり方〉に視点が置かれている状態です。考える前に身体が応答する状態が〈あり方〉で対応していると言えます。
考えないで身体が動くためには、そういう身体である必要があります。「そういう身体」というのが、まさに〈あり方〉を養う鍵となります。様々な刺激や反応に対して、考えることなく適切な応答ができる準備ができている。そんな状態は、〈あり方〉が整っていると言えます。
馬との関わったり、自分の身体を見つめ直すことで、今の身体を把握し、「そういう身体」を模索し養っていくことができます。
具体的に〈あり方〉を整えてく様子を、馬との関わりの場面、方条さんの身体の教室の場面で例を挙げます。
例えば、馬との関わりの場面。馬と一緒に歩いているときに、こちらに緊張感があると、馬の身体も緊張します。馬は、関わる人の意識にも上がっていない無意識の状態をも読み取り、馬は身体の動きとして返してきます。馬は身体の動きを通して、鏡のように関わる人の状態を映し出します。
しかも、馬は固定化された関係性ではなく、関わる人の状態に応じて関係性を変化させます。なので、こちらの身体の使い方を変えたり、意識を変えると、馬の反応が変わり、馬との関係性も変わっていきます。馬の反応を見ながら、自分の状態を変化を感じ取りながら、整えていくことができます。
例えば、方条さんの身体の教室の場面。身体に余計な力みが入っていると、相手の状況に対して、自分の体が適切に動かない。余計な力みを抜くと身体がどのように動くのか、その時の感覚はどのようなものか、というように、方条さんの身体の教室では、様々な身体の感覚を一つ一つ丁寧に扱います。
このようにして、馬と関わったり、身体の感覚に向き合ったりすることで、〈あり方〉を整えるために必要な具体的かつ適切な気付きを得ることができます。この気付きを重ねていくことで、身体が変わり、「そういう身体」に近づき、気付いたら〈あり方〉が養われていきます。
馬との関わりを通して自分自身の無意識の状態が露わにされて、その状態の気付きを持って、自分の身体と丁寧に向き合う。馬と身体の時間が入り交じり、様々な感覚を味わいながら、最後は自分自身の中で一つに統合され、違った身体になる。
分科会では、参加者の皆さんとそんな気付きが生まれる時間にしたいと思っています。
補足情報
※1 方条遼雨さん
身体思想家/場作りコンサルタント/心体コーディネーター/玄武術【天根流】(あまねりゅう)代表。
甲野善紀、中島章夫に武術を学ぶ。両師の術理に独自の発見を加え、「心・体の根本原理の更新」と脱力に主眼を置いた「玄運動(げんうんどう)」「玄武術(げんぶじゅつ)」を提唱。師の甲野と共著の出版・合同講師も務める。
著書 上達論、身体は考える
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